日本茶カフェはセルフ!?
「なんで日本茶カフェはセルフなんですか?」座談会でこう質問された時にはピンと来なかったワタクシ。「コーヒーにはバリスタがいて、きゃあー素敵って感じで憧れるけど、和カフェに行ったら砂時計を出されてセルフで淹れさせられたんですよ」と不満顔で話をされたのは子育て3年以内グループの女性でした。
「それは、日本茶を淹れるコツを知って体験してもらって、おうちでも急須で淹れてほしい、という意味で…」とワタクシが説明を始めたら、「でも素敵に淹れるイメージなしで単に手順をレクチャーされても、家に帰ってやってみようというテンションにはならない!」と断言されるのです。
先日、コーヒーのバリスタのセミナーに参加してみて、やっと「和カフェのセルフに不満な消費者さん」の言いたいことが理解できた気がしました。最近良く、消費は「haveからbeingへ」と言われます。つまり、モノを所有する(have)のが喜びではなくて、「なりたい自分になる」(being)ということにお金を使うということ。
コーヒーのセミナーでは、道具立てがカッコよくバリスタの所作はスポットライトに照らされてキラキラしています(笑)。総務庁の家計調査年報によれば、一世帯当たりの消費金額、緑茶も茶系飲料もマイナスなのにコーヒーは397円のプラス。スペシャリティーコーヒーという高価格帯が伸びているのです。
「have」ではなく「being」
バリスタがセミナーで見せて話していることは「お湯の温度」「豆の量」「蒸らし時間」「豆の保存方法」などで、要素は日本茶とほぼ同じ。でも道具がものすごく厳密で、適温の88度を計れる電気ケトルや、豆の重さ、お湯の量、蒸らし時間を同時に量っていくことのできるデジタルスケールなど、「淹れる技術の見える化」がされていました。そして聴衆の大多数が男性です。このカッコよくて精密な道具を使って、カッコよく淹れるプロセスを「おおっ」という声にならない声で見つめている時間。まさに「have」ではなく「being」なのだな、と思いました。きっとそば打ちでは飽き足らない団塊世代の定年後のお金と時間が費やされる世界なのだろうなあ!!
ツウ気分で寸止め!?
この経験をお茶に置き換えると、味や香りという茶葉というモノの品質に注力するのではなく、その茶葉を使って、どんな風にカッコよく素敵な時間を過ごせるか、ということを「日本茶を淹れるプロセス」に組み込み演出して魅せる、ということなのではないか、と思います。ですから道具は憧れを誘発するデザインであることが大切。フィルターインボトルは、もちろんそれを意識していますが、それ以外にもコーヒーのバリスタが使う道具を日本茶に組み込んでもイケルのではないかな、と思います。
これって、お茶が食費ではなく福利厚生費として選ばれるということ。つまりグラム単価ではなく、ちょっと贅沢な時間を過ごす自分へのご褒美として選ばれるということです。
そして大切なのは、「ツウ気分が儲かる」ということ。ほんとのツウになる必要はない。ほんとのツウになると、生産地に赴き、色々なお茶を少しずつ安く購入するようになる。ツウの気分を味わう、というところで寸止めするのが儲かる秘訣。この一線を超えずに素敵な憧れの日本茶の世界を淹れる手順を魅せながら指し示せたら、ものすごい可能性があるのではないか、と感じています。