夏のお茶再考。

▼今までの夏の飲み物。

以前にも「夏こそお茶屋さんは忙しいでしょう?」と消費者モニターさんに質問されるという話を聞きました。一年中冷たい飲み物を冷蔵庫に常備している消費者にとっては、「日本茶は夏に消費するもの」という発言もあるほどです。
しかし、つらつらと考えてみると、夏のお茶ってどれもこれも「ガブガブたくさん飲む」ということを前提に作られているような気がします。ペットボトルがいくら「〇〇製法」とうたっていても、ライトな喉ごしであることは間違いないし、しみじみと味わうという感じじゃない。そして、お手製の麦茶・ウーロン茶にしても、お水代わりという位置付けだし、われらが茶業界の夏の商材の定番である水出し煎茶も、麦茶よりちょいと高級というコンセプトではないでしょうか?

▼ たくさんはいらない。

子育て世代の特徴は、「量が必要なので価格重視。」なのですが、一方で「たくさんはいらない。本当においしいと思えるものを適量とりたい。」という意見もあり、そういう発言は子育て一段落後の夫婦やDINKS、単身者からのものです。この人たちは、価格先行型ではなく、商品価値に対してお金を払う傾向にあります。
この考え方に夏のお茶の有りようを当てはめると、「たくさんじゃなくてよいから本当においしいお茶」を、暑い季節にふさわしいカタチで提案できているのだろうか、という疑問がわいてきました。
▼氷と茶葉で作る極上の冷茶。

ある座談会で「あるお茶屋さんに教えてもらったんだけど、とってもおいしくてオススメよ。」という前置きで、こんな夏のお茶の楽しみ方を教えてくれた女性がいました。夜お風呂に入ったあとに、急須に上等の(この上等ということをこの女性は大変強調されていました。)茶葉をたっぷりと入れて、氷を急須のフタがやっと閉まるくらいたくさん入れて冷蔵庫へ入れる。次の朝に起きると、極上の冷たいお茶ができている。いただきものの玉露でやると最高で、玉露という名前に「露」という字が入っているのがなるほどと実感できるおいしさ。深い深い味わいがありペットボトルのお茶とはまったく別物の「ああ極楽。」と思わず口に出てしまうくらいのお茶ができるというのです。

▼実際にやってみると‥。

この発言がどうも心にひっかかったワタクシは、去年の夏、実際にこの方法で冷茶を作ってみました。そしたら‥本当においしい。たっぷり茶葉を入れると、玉露でなくても充分にコクのある冷たいお茶が楽しめます。前日に冷蔵庫に入れるのが遅いと、全部氷が溶けきっていないことも多々あるのですが、そういう時にはほんの少し水がお湯を注いでしまうといういいかげんなやり方でしたが、ペットボトルとは一線を画する「お茶の味」がするのです。
そしてもうひとつ意外だったのは、朝寝起きに家族のまだ起きていない台所でこのお茶をゆっくり飲んで目を覚ますという行為は、なんだかとっても贅沢ですごくやさしい気分になれる。娘のお弁当を作っていても鼻歌が出てしまう感じなんです(笑)。座談会で話された消費者の方が「ああ極楽という感じの味。」とおっしゃっていましたが、人は自分が幸せだと他の人にもやさしくできるものなのかも?!

▼ 「ねむりひめ」の誕生。

この飲み方を広げることができれば、夏のお茶の需要、それも今まで存在していなかった「ちょこっとだけどおいしい」という部分での需要を喚起できるのではないか、と考えました。試行錯誤の末に誕生したのが「ねむりひめ」というネーミングです。このネーミングは、「一晩氷と茶葉が眠って、翌朝冷茶に生まれ変わる。」ということに由来していますが、それ以上に「夢があること」「何かな?と消費者のアンテナに引っかかること」を大切にしています。イラストと手書きの説明文で構成した小物(掛け紙・縦帯・ポストカード)とガラスの急須で、今までにないティータイムを提案したいと考えています。4月中旬に発売予定です。ご期待ください!!