茶事記64号 クローズアップ・ピープル 経営者登場37

積極的な経営で明日を拓く経営者をご紹介するこのコーナー。
今回ご登場いただいた株式会社ちきりや茶店・米内社長は50歳。安政元年創業、老舗の経営者のバトンを先代の高橋紘一社長より昨年引き継いだばかりでいらっしゃいます。
大学卒業後にちきりや茶店の親会社である関西茶業株式会社に入社。専門店での販売、製茶メーカーとしての営業を経て、経営者に上り詰めるという輝かしい経歴をお持ちです。お話をお聞きすると、心も頭も柔らかく自然体で客観的。視野の広さと奥行きに圧倒された取材でした。
●米内社長が入社されてから今までの流れを教えてください。
 創業は安政元年、京都の老舗の千吉の別家で呉服商を営んでいた秋山覚兵衛が、山城のお茶を販売したことから始まります。京都市内にちきりや茶店を設立したのは昭和26年、法人となって今年が60周年です。
 私自身ですか?遠縁ではありますが、親族ではありません。
 大学4年生の時に、アルバイトに精を出して巷の新卒正社員以上の収入がありましたので、友人が就職活動をして内定をもらっている中、何かふわふわとしていましてね。教授が心配して、繋いでくれたのが先々代社長の高橋哲雄です。
 当時はミュンヘンオリンピックで男子バレーボールが金メダルを取った全盛期の余韻真っ只中だったのですが、先々代は、松平康隆元監督を「まっちゃん」と呼ぶようなその世界の重鎮でして、人脈は幅広く、私のお世話になっていた教授も神様のような存在と申しておりました。ある日「昼飯を食いに来ないか?」と誘われ、豪華な中華料理をご馳走になり、社長室にあるスポーツ用品のコレクションの中から「どれでも持って帰っていい」と言われ、「なんていい人なんだ!」と感動しつつ世間話をして、別れる段になったら握手されて「じゃあ就職頼むぞ」と(笑)。思わず「はい、わかりました」と答えたのが21歳の9月のことです。
 もともとの採用は大阪梅田の関西茶業。入社してすぐ阪神百貨店での新茶祭で休みなし。次は梅田界隈の企業や飲食店にお茶を配達する「近所班」。バイクに乗って、多い日には1日に50軒配達して、20軒集金するというハードワーク。「静岡の問屋さんに手伝いに行け、あっちは新茶前でラクでええ」と言われ掛川に行けば、60キロの大海を当り前のように担ぐ日々。「どこがラクやねん」と思いましたが(笑)、今振り返ると、この時期に「からだで働く」という基本が叩き込まれたのだと思います。頭だけではなく、実際に現場で動くからこそ見えることが沢山あるし、何よりもつぶしがきく。仕事における基礎体力と言えるかもしれません。
 2年目は比較的自由に仕事をさせてもらいました。大手企業への営業を担当させてもらい、その後、京都生協や日本生活協同組合連合会との取引などで、「京都が忙しくなったから手伝って来い」とちきりや茶店に異動したまま現在に至ります(笑)。
 先代から後継にという話があったのは、出張先の品川駅構内の居酒屋。「京都をみてもらう」と言われた瞬間、背中が寒くなるような感覚でした。二番底を打つのではないかと囁かれた時でもあり、日本茶の先行きが不透明なうねりの中で、どう経営者として舵取りしていくのか、また、社員やその家族に対しての責任など、今まで比較的順調だったからこそ、将来を深く考えるきっかけにもなりました。
日生協さんとのお取引の中で学ばれたことはありますか?
 ひとつは「安心・安全」に対する厳しさです。要求は厳しいですが、だからこそ信用に繋がる。新規お取引先との商談では、お取引頂いていることが武器になります。
 また、同じ契約農家が同じ畑で育てても、その年によって出来がちがうのが農産物であるお茶の宿命。これを同じブランドとして販売し続けるためには、官能検査や合組の技術を用いて、均質の味・香りをお届けする仕組みが必要です。当社は、昭和63年に菊川に静岡工場を建設し、一貫した品質を維持しています。静岡を選んだ理由ですか?流通量が圧倒的に多く、良いお茶が集まる集散地であるということが、当時の私の上司であった方々の一番の理由でしたね。当社は荒茶の産地にこだわらず「いいものはいい」という姿勢。
 「うちの味に仕立てる」ということを大切にしています。
 もうひとつ、生協さんの特長としては、実際に当社のお茶を飲んでくださっている組合員の方と「地域の学習会」でお会いできるという点があります。足掛け20年くらい、数え切れないほどの学習会に参加させていただいて、沢山の生の声を聞き、消費者の実態を知ることができました。
 まず、袋の裏にある「お茶の淹れ方」。あんなん読んで淹れる人なんか、1人もいません(笑)。大半の方が、生活の中で引き継がれてきたお茶を淹れる所作を、見よう見真似でしてはります。私の淹れ方教室に来る方は、生協で当社のお茶を購入して飲んでおられるので、「皆さんのいつも飲んでるこのお茶を淹れますね」というところから始めます。
 マニュアル的なことは一切言わず、お茶葉はカレースプーンに1杯。どんな家庭にもあるから、大さじ小さじで言われるよりもイメージしやすいのです。ほうじ茶・玄米茶のように「このお茶葉、軽いわ」と思ったらカレースプーン2杯という風に応用してもらいます。
 急須にお湯を入れて1分間、「ここでご主人と1分間会話してください。もともと会話がない夫婦には結構長く辛いかもしれませんね」と笑いをとったりします。実際に淹れてもらって「えーっ、これ本当にいつものお茶?!おいしいわー。家で飲むのと全然ちがう!」という声が上がる瞬間は、お茶屋冥利に尽きるというか、とても嬉しいですね。今は、日本茶を急須で淹れて味わうという環境や習慣が希薄になっていますが、そこを繋ぐためには体感してもらうことが大切だと感じます。
体験ではなく、体感ですか?
 五感で感じることが日本茶の原点と考えているので、体感という言葉を使いました。通り一遍の知識を習得するのではなく、家に帰ったときに「早速使える」と感じて行動していただくように心掛けているのです。
 実は、イトーヨーカ堂関西1号店が大阪堺市に出店した時に、テナントの店長を務めまして、高い授業料を会社に払ってもらいました。当時26歳。従来とは違う日本茶の伝え方をしようと意気込んで、お茶を冷蔵ケースに入れて陳列し、味と香りが科学的に伝わるようにと、扱う全ての日本茶に味・香り・色などを数値で表してグラフを付けました。先駆けだったと思います。でも大失敗でした。
時代が早過ぎたのでしょうか?
 いえ、お客さんの視点ではなかったということに尽きると思います。グラフもショーケースも視覚のみに頼っての訴求です。「このグラフを見て、全体像を理解してください」というアプローチですよね。
 実際には、お茶は五感を使って味わうものなので、視覚だけに頼っては何も伝わらないのです。実際に飲んだときの味覚はもちろんですが、お茶を焙じる匂いを感じるのは嗅覚。お湯が沸くしゅんしゅんという音や、氷がちりんとなる音は、聴覚での楽しみですし、湯呑みの温かさを掌で感じる触覚も幸せを運んできます。理屈ではない五感の喜びを伝えることこそが、お茶の価値を伝えることなのだと思うのです。
 最初はよくわからなくてもいい。段々深く、少しずつわかっていく。行きつ戻りつしながら腑に落ちていく。そのプロセスを楽しむような、場所や居心地やお客様との関係性を提供することこそが店頭に必要だったのだ、と今は考えます。26歳当時には想像もつきませんでしたが…。
そのような思いで、本社の1階にあったお店のリニューアルをされたのですか?
 ひとつは、京都という地の利を活かそうという発想からでした。祇園祭りの時には山鉾巡行がすぐ西側を通り、すごい人出です。外国人旅行客もとても多い。この方たちに日本茶の楽しみを感じていただき、文化や空間の提供ができる店を作りたかったのです。
 もうひとつは、社員にとっても、お客様と直接触れ合うことはとても勉強になると考えました。当社の売上の中で、小売はほんの小さな割合です。しかし、消費者との接点を持ち、価格ではない価値を伝えることの難しさと楽しさを知ることは、必ず卸の仕事にも生きて来る。
「価格ではない価値」について、もう少し詳しく教えてください。
 「100グラム1000円のお茶は高い」と言われて、「いやいや、1回に使う茶葉の量は○グラムだし、2煎目までいれられると計算すれば1杯○円ですよ」と価格だけの優位性を掘り下げて説得するのはナンセンスです。品質の裏付けが根底にあるのは当然ですが、大切なのはもっと情緒的な感性に訴える部分。それを価値と表現しています。
 生協さんの「地域の学習会」を続けて20年以上経ちますが、年々家庭にお茶がなくなってきていることをひしひしと実感します。けれどまだ日本人のDNAの中には「日本茶はおいしい」「日本茶は落ち着く」「日本茶で団欒」と刷り込まれている。自分で淹れることはできなくても、飲めば「おいしい」とか「ほっとする」と感じるでしょう。
 以前、オーストラリアの留学生が来られましたが、苦くて飲めない子がほとんどでしたからね。日本茶だけでなく米や海苔、梅干など、発信しなくても脈々と受け継がれてきた伝統食品は、ライフスタイルの変化によって右肩下がりの状況です。歴史に胡座をかいているだけではダメ。日本人の遺伝子が残っているうちに、何ができるか、どのように伝えていくのか、今が大きな曲がり角と感じます。
未来に向けて、経営者としてどんな志を持っておられますか?
 社長職を拝命する以前から、自分自身の行動の指針を「あいうえお」として明文化しています。「あ」は「アイデア」をもって。「い」は「インタレスト」、興味をもってという意味ですね。「う」は「ウォーク」、現場主義で自分の足で歩いて確かめることが大切です。「え」は「エキサイティング」、情熱ですね。そして「お」は「オーナーズシップ」、全体を俯瞰(ふかん)する視野の広さや収支に対する冷徹な視点は欠かせません。これは何年もかけて辿り着いた、私の仕事の信条でもあります。生意気なようですが…。