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●バランス良い発展。 |
厳密に言うと私が二代目、今営業に精を出している長男が三代目です。先代は茶農家で荒茶加工までしていました。戦時中に燃料不足から共同工場化が奨励されましたが、そこを脱退して自分の工場にこだわったのです。しかし当時「パックリ」と呼ばれた不渡りを二件掴まされて息の根を止められた。農協の合併で負債総額を負けてもらって、親戚の協力で借金を返済しゼロからスタートしたのが昭和三十三年のことです。 私は会社勤めをしていましたが、三十二歳で家業を継ぎました。地元の食料品店さん、八百屋さんとか乾物屋さんからご要望をいただいて、お茶を卸すようになりました。ちょうどスーパーという業態が出てきた時代で、加えて包装資材の革新や窒素充填技術の登場による保存性の向上・製茶機械の飛躍的な進歩等、様々な要素がバランスよく発展しましたから、営業をして歩くというよりも先方が声をかけてくださるという、幸せな時代でしたね。 |
細長いティーバッグのために、 この機械と共に試行錯誤した。 |
カラクリ人形のような仕掛け?! イベントに持ち込んで子ども達を 夢中にさせるティーバッグ加工機。 |
●楽しみながらチャレンジ。 |
スーパーの三尺の棚を一つ、「ミズイ園さんがここの棚を埋めてよ。」と任されるという感じでしてね。そうなると今何が世の中で売れているか、ということに敏感にならざるを得ない。煎茶に限らず、棒茶・粉茶・ティーバッグ・中国茶・麦茶まで、取扱い商品は以前から多品種でした。杜仲茶が流行った時には仕入れるのに苦労したなんてことも思い出ですね。春夏秋冬、季節によって買われる商品が大きく変化することも、身をもって経験しました。常に変化を求められるのは苦しいですが、その競争を楽しみとしてチャレンジしていかなくては、商売をしている意味がないとも思うんですよ。 |
●ティーバッグに早くから着目。 |
その中で、ティーバッグの伸び率は高かった。昭和四〇年頃は、ティーバッグの紙の材質が現在のような品質ではなく、紙臭かったのですが、それでも確実に需要は広がっていました。お客さんに聞いたのですが、お父さんのお弁当に水筒とティーバッグがセット、というような使い方が多かったですね。その頃はすでに荒茶を購入して仕上げをして卸す、という機能で商売をしていましたが、ティーバッグは委託加工でした。 長男の繁明が東京のテレビ制作会社から戻ってきたのが一九九九年。なだらかだけど右肩下がりが始まっていました。団塊の世代が定年になり高齢化していくわけですが、食文化の変化は止まらない感じですね。スーパー以外の食料品店さんはジリ貧で、オープンケースが壊れたら修理するのではなくて店を閉めてしまおうというような時代です。長男は私に比べてずっと営業で苦労していると思いますよ。 ただ静岡という大産地で、周囲が皆県外に目を向けていた頃から、お茶に思い入れがありお茶にうるさい県内の消費者を相手にずっと商売をしてきたというのは、私どもの自負心でもあるのです。今でこそ大手さんも地元スーパーに目を向け始めましたが、当時は静岡県内の消費者は皆さん眼中になかった。ご存知の通り、静岡は親戚や知人に必ずと言っていいほどお茶の関連の仕事をしている人がいる土地柄です。その中でお金を出してお茶を買ってもらうのですから、鍛えられました。 |
一連でも五連でも好みによって変えられる。茶葉を持ち込めば、委託加工にも応じてくれる。
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●ペットボトル再利用のティーバッグ。 |
食文化が変化し、お弁当もお茶も奥さんの手作りではなくコンビニで調達する時代になって、ずっと堅調だったティーバッグの売上も頭打ちになって来ました。水筒を持って出ることが少なくなったのですね。それで、これだけ売れているペットボトルの存在を利用したらどうかと考えたのです。私のような世代は、一度飲んだだけで再利用できそうな容器をポイッと捨てることにも抵抗がありました。それで空のペットボトルの中に直接入れられるティーバッグは作れないだろうか、と考えた。ちょうど長男が戻って来た頃のことです。 |
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裏面の説明も写真入り。作り方だけでなく、
ティーバッグの取り出し方もあって、至れり尽せり。 |
●細長いカタチに試行錯誤。 |
最初は、ずっとお付き合いしてきたティーバッグの委託加工先にお話ししてみました。親しい間柄でしたが「そんな細長いカタチは水井さん出来ないよ。シールした部分にお茶が挟まってしまう。」と言われましてね、それでもどうしても諦められずに、東京の包装機械展にも足を運び、色々研究をして、とうとうティーバッグ加工の機械を自分で購入しました。確かに細長いカタチでシールするのはそれほど難しくないのだけれど、茶葉を平らに分配してシールした部分に挟まらないようにするのには苦労しました。まあ、私は機械をいじるのが好きなので、たくさん失敗して試行錯誤して今のカタチに辿り着いたわけです。からくり人形みたいな機械でしてね、仕組みが目で見えるので工夫する甲斐がありました。五百ミリリットルのペットボトルの口径が2センチ。外周の半分でなければすっと入らないので約三センチの幅のティーバッグです。 もともと小回りがきくことで地元のスーパーさんに支持していただいて現在があるのですが、大手さんが参入してくると、その総合力には脱帽です。会社の規模はもちろんですが、皆さんよく勉強されていると感服しますね。そんな環境の中で私たちがどのように競争していくか、と考えると、この商品で隙間をつきたい、そのためにも育てていきたいと思うのです。 |
●急須で淹れる日本茶との間を取り持つ。 |
この商品についてお話しさせていただくと、お付き合いのなかった会社でも、「話を聞きたい。」とおっしゃって会っていただくことが出来る、と長男も言ってくれます。まあ、どこにも存在しない商品ですからね(笑)、珍しいのでしょう。 ペットボトルしか飲まない人たちが本来の急須で淹れる日本茶に辿り着くための、間を取り持つような商材という側面がこのティーバッグにはあるのですよ。日本茶というのは、塩や醤油で味つける訳ではない。天然自然のそのままでおいしいし、その上健康にも良い。しみじみと尊い商品だと思うのです。この素晴らしい日本茶をこれからも多くの人に味わっていただくために、私どもが何がしかのお役に立てたら、と願っています。 |
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