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山田屋茶舗さんの歴史について教えてください。 | |
創業は昭和二十年です。祖父のお茶の行商からスタートして、現社長である父が二十五歳で事業を継承し、店舗を出しました。 炭鉱の町というのは、「衣食住」の「食」に突出してお金をかける土地柄なんです。ですから父の時代は「いけいけどんどん」で(笑)面白いように売れた時代でした。 |
結納を始め、贈答品が大きく動く本店。 |
専務さんが家業をお継ぎになったのはいつですか? |
寂れた商店街の中で、 一店舗だけ来店客が 途切れない新栄町店。 季節感が上品に演出されていて、 居心地がいい。 |
学校を出てからまず百貨店に入り、デパ地下で豆腐等のデイリーの売り場を担当しました。対面販売のノウハウを学びたいと考えたのですが、それだけでなく経営計画の重要性やマニュアルの効用等、多くが今でも役に立っています。 その後、子会社である量販店の新店オープンに伴って、食品関係の売り場の立上げをやりました。母が入院して「帰って来いコール」があり、予定より早く退職して家業を継いだのが、昭和五十九年のことです。 |
どんな滑り出しでしたか? | |
最初はカルチャーショックでしたよ(笑)。それまで量販店で一日何百万円の商売をしていたのに、家に帰ったら一日のご来店客数は十~三十人。金額も数万円でしょう。「これでは先々どうなるんだ?」「このまま終わりたくない。」と奮起して、産地に勉強に行ったり、全国の有名な茶専門店を訪ねたりしました。 当時お茶屋さんは「お客様を待って販売する世界」で「攻めの商売」ではなかったんです。セールとかイベントとかは、お茶屋がすることではない、という空気がありました。 |
そして「山田屋は攻めの経営に出られた」のですね? |
そんなカッコイイものではありません(笑)。スピードくじで商品が当たったり、じゃんけんで勝ったら商品を差し上げるとか…。お金がかからなくてお客様に楽しんでいただけるようなイベントを考えてチャレンジしましたが、失敗の連続・満身創痍(笑)。 最たる失敗が割引セールです。「毎月一日は二割引」にしたら、その日だけに売上が集中して他の日は売れなくなっちゃった。一か月分買い置きされてしまいます。「都度都度ご来店いただくためには何をすべきか?」真剣に悩みました。或る時、高円寺の金子園さんの前社長とお会いできる機会があり、その悩みを打ち明けたら、「ただ値引するのではなく、再来店を促すように工夫すればいい。売り出しで値引するのではなく金券をバックしたらどうかね?」とアドバイスしてくださって「これだ!」と思いましたね。割引セールはピシッと止めて、金券バックに変更しました。一時お客様は離れましたが、今でも金券バックは当社の重要な販促の要です。 また、当時は卸がメインでして、小売は全体の売上の2割でしかなかった。パパママストアの食料品店を百店舗ほど持っていたので、小売店のセールのチラシに「低価格でおいしいお茶を!」と書くと卸先からクレームが来る。二足のわらじの限界でした。父と相談して、「卸から足を洗わせていただく」旨のお手紙を卸先に送付し、こちらもピシッと小売に一本化したんです。 |
「ピシッとやめる」というのは、 口で言うほど簡単じゃないですよね。 色々迷いもあったと思うのですが・・・。 |
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もちろん迷いがなかったと言えば嘘になります。でもピシッとするのを怖がって、「とりあえず」「おいおい」と言い訳して逃げていると、流されるし遅れてしまう。うちは小規模ですから「失敗して損害を被るのは自分だけ。」と腹を括ることができることも幸いしているのかも知れませんが(笑)。 | 大きな駐車場を完備するロードサイドの田隈店。 大牟田市の北に位置する。 もともとシェアのなかった地域への出店だった。 |
2種類のポイントカードで、お客様のお買い上げ金額に応じたサービスを実現。 |
お誕生日カードも贈答御礼ハガキも、 お客様がうれしくて山田屋ファンになる仕掛け。 |
販促についてもっと具体的にお聞かせください。 |
当店にはポイントカードが2種類あります。一つはカードに捺印させていただくタイプ。三年間有効で、五百円のお買い上げでスタンプを押し、二十五個貯まったら五百円の商品券と引き換えられます。このカードは一枚十円のコストですが、満了になったお客様は磁気タイプのポイントカードにバージョンアップしていただく。これは当店の上得意様という証(笑)でして、一枚八十円のコストです。三百円毎にポイントがつくようになっていますし、新茶時期にも百グラム千五百円の新茶の一煎パックをプレゼントする・誕生日にプレゼントをご用意する等、様々な特典があります。 このポイントカードとパソコンを使って、かなり詳細に顧客管理しているので、一律同じプレゼントではなくお買上金額の多いお客様に手厚くしているのも特長ですね。またギフトをお送りいただいたお客様には必ずハガキでフォローしますし、「新茶体験をしていただく」ことを願って、新茶時期には年に一度の利益度外視のセールをしています。 まず自分達の思いだけでイベントをしますよね。必ず失敗します。するとお客様から「ここが不満だった」という声が聞こえる。この声に耳を傾けて、少しずつお客様の目線に下りていくとやがて成功します。「お客様の声は神の声」つまり「お客様第一主義」が経営基本方針ですが、本当にお客様のクレームには経営のヒントが隠れているんですよ。 |
ほぼ三年に一店舗支店を出店されていますが・・・。 | |
各店には立地条件等にそれぞれ明確な出店理由がありますが、やはり六店舗にもなると、「試飲のお茶の味がちがう」等々、店のバラツキに関するクレームが出ます。これを改善するために、一つは日本茶インストラクター制度を利用して「日本茶インストラクター・アドバイザー」の資格を販売員が持つようにしています。また新しい商品が出るときには、必ずコンセプトを紙で配布し、商品説明の統一に務めています。家業から企業経営へ脱皮するためにも、社員が仕事上で迷った時に羅針盤としての役割を果たす経営計画書の役割は特に大きいですね。 「よりよい香りとくつろぎを求めて」という店舗コンセプトも、経営計画書作成時に生まれました。「お茶というモノを売って利益を上げる。」という発想から、「お客様とコミュニケーションを図りながら、お茶を通して余暇の寛ぎや生活の楽しみを見つけていただくためのお手伝いをしよう。」へと転換したのです。「ハードを売るのではない、ソフトを売るのだ。」という思いを込めました。 |
昨年開店したばかりの荒尾店。 アイスクリーム屋さんを改装した。 とんがり屋根が印象的。 |
今後の専門店が生き残るには何が大切だとお考えですか? | |
「新鮮」「美味」「エコ」をコンセプトに開発された。 |
専門店が生き残るためには、「わざわざSHOP」にならなくてはなりません。商店街・量販店の集客力に依存するのではない店づくりが理想です。 たとえば季節感。年間スケジュールを立て、季節のメイン商品を決め、全店一斉に売り場をリニューアルしますし、試飲のお茶も変えて「今度は何を飲ませてもらえるかな。」とお客様に楽しみにしていただくことを目指しています。 また「特製 山田屋」という店名をお茶の名前につけてギフトのメインに推奨しています。知名度の低かった十年以上前に、催事で売る商品として「八女だより」というオリジナル商品を創りました。しかし、どんなに他店との差別化を意識した商品創りをしても、お客様には「八女茶はおいしい。」としか認知していただけない。そこで「八女」という言葉に依存しない個性が打ち出せる商品を、チャック袋・紙缶に入れたギフトセットとして展開しました。チャック袋は、飲み終わるまで消費者の手元に置いていただけますし、そこに「山田屋」という店名が大きく茶銘としてあれば、口コミにも乗りやすいと考えたのです。 仕入では、大牟田の水を産地に持参してお茶を選びます。商品には深い思い入れがありますが、それだけに甘えず、お客様の好みを引き出し、一緒にお気に入りのお茶を見つけてあげる。お茶というモノではなく、お茶に感動する心を売りたいですね。 |
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