第53号 株式会社 茶の市 白井 康徳氏

積極的な経営で明日を拓く経営者をご紹介するこのコーナー。今回ご登場いただいたのは、神奈川県藤沢市の株式会社茶の市様。伊東の茶師の子として生まれた白井社長は、兄と共に白井製茶園を創業し、そこからまた独立を図って茶の市を作った。ざっくばらんでエネルギッシュ。「走りながら考える」という経営で、創業十八年という短い歴史ながら、その事業経緯はまさに波乱万丈。「茶と健康を提案する」という企業理念に基づきながら、従来のお茶屋さんのカタチをらくらくと越えて、至極楽しそうに商売をされているのだ。

株式会社 茶の市
代表取締役社長 白井康徳氏

エネルギッシュ&エキサイティング!
白井社長の話は面白い。
本社売店 シンプルで清潔感のある売店
●サラリーマンからドロップアウト。
学校を卒業して建築資材の会社に就職した。朝は遅くまで寝ていて朝礼に出たことはない。昼頃から自分のテリトリーをブラブラ歩きつつ、建築中の家があるとその施工工務店をチェック。午後四時過ぎ、職人さん達が一杯飲み始める時刻に「親方なんか無いですか?ほら、あの〇丁目の家、親方のところが作っているじゃないですか!」というアプローチでごっそり注文をもらう。「白井の営業した跡はペンペン草も生えない。営業成績は抜群だが、組織人としては問題。昇格させられない。」と上司に言われる営業マンだった。
自分自身で白黒つけたがるこの性格はサラリーマンには向いていない、と独立を決意。両親が、近隣の農家の生葉を仕上げする賃加工をしていたことから、「お茶屋になろう。失敗してもやり直せる三十歳で立つぞ。」と目標を定めた。
 
●三十にして立つ。
そこからの人生の舵取りが面白い。まず「パック茶の動きを知りたい。」と量販店にもっとも強い静岡の茶問屋に履歴書一枚で飛び込む。無事採用され、横浜に配属。ここで量販店との商談の経験を二年積んだ後、「買い手の経験も必要。」と食品スーパーに転職。三年後には本部のバイヤーになることを目標に、一年は売場担当、二年目から店長、三年目には本部に転属した。バイヤーとして、嗜好品・乾物・スパイス・乳製品を担当し、知識を深め人脈も広げて、三十歳には念願の独立、生まれ故郷の伊東に帰った。

店内。近所の人がサンダル履きで気軽に来られるお店。
●固形茶と戦う。
まずは兄と一緒に「白井製茶園」を立ち上げ、実家のお茶を持って土産物店・ホテル・保養所に営業を開始。しかし「あんたんとこのお茶は味がないから。」とことごとく断られる始末。思い余って「では味のあるお茶を分けてくれ。」と購入し、袋を開けると中には塩辛い粒々の固形茶が入っていた。
「利益を考えればこういうのは頭がいい方法なのだろうけど、こんなことでいいのかなあ? こういう合成されたものが、おいしいという基準になったら、一次産業は早晩ダメになる。」と感じ、逆手を取って「無添加のお茶を持ってきました。」と言って営業にまわるようになった。「うまいんだから何が入ってたって構わない。」という人ももちろんいたが、一方で添加物の話に耳を傾け「それならお宅のお茶にしましょう。」と買ってくれる人も出てきた。時代の潮流に流されずに、感覚的に本質を見抜いて対応する、白井社長のエピソードの一つだ。
 
●販売部門として独立。
昭和六十一年には、販売部門として兄の元を巣立ち、藤沢市湘南台に店を構えた。小売り店舗だけでなく業務用にも注力し、大手茶業者の小売部門に乾物を卸したり、食品メーカーに原料供給したり、回転寿司・レストラン等に販路を広げたり、どんどん外に出ていった。商談のスタイルはいわゆる「オレ流」。物怖じせずに相手の懐に飛び込み、一緒に問題解決をするためのパートナーとして信頼を得るというスタイルだ。
 

幅広い商品構成。選ぶのが楽しみ。

日常茶とギフトの連携をとるのは難しい。
●お茶屋さん相手に苦戦。
六十三年に埼玉県越谷市に精製工場を作り、三百キロフルラインの機械を入れた。三千五百万円の投資。「今でも語り草だけど、入れたはいいけど機械の動かし方がわからなくて困った!」という豪胆な人なのだ。
当初のターゲットは「町のお茶屋さん」。バイヤーの頃の知識を活かして、「売れ筋が千円であれば、お客様の目線に対してこの位置に置けば売上が十パーセントアップしますよ。」というアプローチで営業した。しかし予想以上にお茶屋さんと問屋さんの繋がりは深く、新参者が入り込める余地はない。月々百万円ずつ、着実に赤字を累積し眠れない夜が続いた。
 
●天然素材の加工。
そんな白井社長を見かねて、昔のバイヤー仲間が色々な仕事を持ちかけてくる。たとえばヨモギの焙煎・プーアール茶の滅菌・ハーブのパウダー化。緑茶に限らない天然素材の賃加工に精を出すことで、取扱商品は飛躍的に増えた。そんな中で、茶の市の企業理念は「茶と健康を提案する」に収斂されていく。三年目にはドローに持ち込み、四年目からは利益を出すようになった。
    


選別機

識別機
         
本社工場は選別機から合組機までのフルライン装備だ。
 
●嗜好品の主導権は顧客にある。
軌道に乗せたあと、大好きな藤沢の地に精製工場を移転する。移転一年後にティーバッグ等の加工工場も作った。「お茶は嗜好品。嗜好品の主導権はお客様にあるはず。これだけ緑茶に追い風が吹いているのにリーフ自体の消費が落ち込んでいるのは、きっと売り手の定規をお客様に押し付けていて、お客様の尺度を無視しているからだと思う。」と語る社長。仏事やギフトなどの特需ではなく、家庭に根ざした需要を掘り起こすことを考えると、リーフのお茶だけでは魅力に乏しい。
 
●ファーストフードとの融合。
今年二十三歳になる娘さんに「お茶屋ってうざったい。ぜったいに入れないわ。」と言い放たれ、はたと考え込んだ。彼女達若い世代にとって、抵抗なく入れる店はどんな店か? 自分はファーストフードは嫌いだが、彼女達にとっては身近な存在。お茶を天然素材ととらえてファーストフードと融合することで、リーフにこだわる従来のお茶屋とはちがう客層がつかまえられるのではないか?
そして行き着いたのが「湘南ジェラート」だ。緑茶・ほうじ茶・はと麦・クコ・黒豆などの健康志向の天然素材をマイクロパウダーにして、ホワイトベースに練り込む。ファーストフードは添加物だらけ、という固定概念を覆し香料を使わないことで「茶と健康を提案する」という企業理念とのブレもない。

湘南加工センター。  

焙煎機。 
ティーバッグ加工・ドリップ茶加工で大忙し。